ラグビー
ラグビー (Rugby) は、フットボールの一種。
解説
この競技は、正式にはラグビー・フットボール (Rugby football) と呼ばれる。2つのチームに分かれて行われ、楕円形のボールを奪い合って相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競うスポーツである。
イングランド発の競技ということもあって、ヨーロッパ(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、イタリア、(イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズはホームユニオンと称される)ばかりでなく、オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド、サモア、フィジー、トンガ)および南アフリカ、アルゼンチンで人気の競技である。とりわけ英連邦諸国内ではサッカーと並ぶ人気スポーツである。
ラグビーを語る上でよく使われる言葉「一人は皆の為に、皆は一人の為に(One For All, All for One)」は、三銃士の中の言葉である。
歴史
ラグビーの起源は、「1823年、イングランドの有名なパブリックスクールであるラグビー校でのフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリス (William Webb Ellis) がボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。
1840年頃にはボールを持って走る「ランニングイン」が確立して普及しだしたのは確かであるが、その第1号がエリス少年だったかどうかは諸説ある。しかし、エリスが最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーの起源を調べる上で最古の文献だということは間違いなく、起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリスただ一人である。
1840年頃にはボールを持って走る「ランニングイン」が確立して普及しだしたのは確かであるが、その第1号がエリス少年だったかどうかは諸説ある。しかし、エリスが最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーの起源を調べる上で最古の文献だということは間違いなく、起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリスただ一人である。
エリス自身は実在の人物で、1806年にマンチェスター近郊で生まれ、ラグビー校では少なくとも3シーズン、フットボールをプレーしている。オックスフォード大学に進み、卒業した後は牧師となり、病気療養のために渡った南フランスで65歳で没したことが確認されている。南仏コートダジュールの小都市マントンに墓地がある。ラグビーとクリケットを愛したと伝えられている。
ラグビー校ではラグビーのルーツ以外にも多くの習慣が生まれており、イングランド代表の白いジャージの元になった白いシャツとショーツと紺色のストッキング、ハーフタイムにサイドをチェンジする習慣、インターナショナル代表がかぶるキャップ、H型のゴールポスト、楕円球のボールなどラグビーの起源を示すような証拠が多くこの学校から生まれた。
なお、日本では「フットボールの試合中」というところを「サッカーの試合中」と誤訳している文献が散見される。英国では一般的に「フットボール」という言葉はサッカーを表すので、英語の文献で“Football”となっているところを、翻訳者が「サッカー」と誤訳したのだろう。
当時はまだサッカーというスポーツは確立されておらず、サッカーとラグビーは未分化であったので、正確には「サッカー」ではなく「フットボール」か「原始フットボール」となる。
この「原始フットボール」とは中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って村と村の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれ、今日のラグビーにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。
この「原始フットボール」とは中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って村と村の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれ、今日のラグビーにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。
そして1871年、サッカーのFA(フットボール・アソシエーション、1863年設立)に対抗して、ロンドンでラグビー協会(RFU:ラグビー・フットボール・ユニオン)が設立された。
本場イギリスでは中流階級以上および上流階級の階層の人々に人気があり、「紳士のスポーツ」と称される。